運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
48件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1976-05-07 第77回国会 参議院 予算委員会 第9号

昭和三十三年の八月の七日、それから九日の両日にわたって、当時、今井事務次官以下がロッキード社から説明を受けたということでございますが、このことにつきましては、三十三年の九月十六日、衆議院の決算委員会におきまして左藤防衛庁長官から、党の幹部からF104Cについて、非常にいいものだから念を入れて、ロッキードも日本に来て説明したいと言っているから聞いたらどうだということで、念を入れる意味において八月の七日

丸山昂

1976-02-06 第77回国会 衆議院 予算委員会 第9号

またそのほか、当時の岸国防会議議長左藤防衛庁長官、広岡国防会議事務局長佐薙航空幕僚長松前空将河野自民党総務会長川島自民党幹事長岡証人花井検事総長吉村説明員、これは政府委員です。こういう人に対して当時のいろいろの疑問点についての尋問事項詳細、こういうものが当時存在したわけであります。  

正森成二

1960-03-22 第34回国会 参議院 内閣委員会 第13号

矢嶋三義君 もう一、二問、この点についていたしますが、その当時、左藤防衛庁長官が本院で、グラマンでなくちゃならんという防衛庁の統一解釈なるものをるると述べられております。これは庁議に諮ったものだと思うのです。その後、川島さんとそれから河野さんの御要望があって事態が進展していって、その間にまあ飛行機の進歩、開発という点もあったのでしょう。そうして結論的にはそういうことになった。

矢嶋三義

1959-12-02 第33回国会 参議院 決算委員会 第13号

それから総選挙があって左藤防衛庁長官になって、三十三年八月に二百機になった。これはロッキード礼が出した資料で、七十九万ドルでできますよとこう出したものです。私もその資料国会に出たのだからちゃんと持っている。この型はエンジンは三型を七型に変える。ファイヤー・コーントロール・システムは制限全天候ASG14を使う。それから赤外線ホミングでなくてレーダー・ミサイルの優秀なのに改良する。

矢嶋三義

1959-11-24 第33回国会 衆議院 内閣委員会 第6号

○石橋(政)委員 ただいま飛鳥田委員質問に対して、四人のパイロットのうちだれがそんなことを言ったのか、すなわちほかの者ならば乗りこなせないじゃないか、だれがそんなことを言ったのかというようなお言葉でございましたが、空幕長自身もかつて、左藤防衛庁長官時代に、長官から相談をされたときにそれに近いようなことを答えたことがあるのじゃないかと思うのです。

石橋政嗣

1959-11-20 第33回国会 衆議院 内閣委員会 第5号

赤城国務大臣 たとえば行動半径の二百ノーティカル・マイルの問題につきましても、先に左藤防衛庁長官国会所信報告いたしましたときには、三百ノーテイカル・マイル以上のものはグラマンだけだった、こういうようなことを言っています。しかし一方において資料として委員会なんかに出したのには、やはりノースロップのN156Fも二百ノーティカル・マイルというように資料の中に出ているものを私もあとで見ました。

赤城宗徳

1959-11-19 第33回国会 参議院 内閣委員会 第4号

特に私が承りたい点は、先ほど他の委員からちょっと質疑が出ましたが、グラマン内定になったときには、新三菱と内定段階においてグラマンの間で十分価格積算作業が行なわれて、そしてそれを防衛庁で検討して最終決定にするのだ、今そういう段階だということを、当時の左藤防衛庁長官答弁されているわけです。この度はそういう積み上げ作業は一切されずに、あるいはFCSをナサールに改良する。

矢嶋三義

1959-11-17 第33回国会 参議院 内閣委員会 第3号

それで左藤防衛庁長官は何と答弁したかというと、内定だから一応これをやって、このコストを十分防衛庁で検討し、国防会議で検討して、そうして決定するのだ、こういう答弁をしているわけですよ。そういう方式を今まで防衛庁はとっておったわけですね。このたびは内定から一ぺんに決定にいったわけですね。

矢嶋三義

1959-11-13 第33回国会 衆議院 内閣委員会 第3号

しかしながら昨年このロッキードF104Cというものについても九月に左藤防衛庁長官は、これも十分検討したけれども、これらの機種については四月内定当時と私どもの見解は一向変っておりませんと、はっきり言明しておるようなわけなのです。ロッキードF104Cの安全性操縦性滑走路問題等についても、昨年の秋ごろまでは防衛庁内部は依然として批判的であったわけです。

受田新吉

1959-11-12 第33回国会 参議院 内閣委員会 第2号

でありますので前の左藤防衛庁長官もその当時議会において説明したこともございます。でありますので、従来の報告をしておりました点と、実地に操縦あるいは検討した結果において違って出てきた問題がございます。一例を申し上げまするならば、速度とか上昇力、こういうのは従来考えておりました性能その通りであります。

赤城宗徳

1959-11-12 第33回国会 参議院 内閣委員会 第2号

前の左藤防衛庁長官がこの会議で申し上げております。二百ノーチカル・マイル以上の行動半径が望ましいが、増槽なしの状態でこれを満足するのはF11F—1Fのみであります。ですからロッキードは、これは満足していなかったわけです。ところが今度の調査団の結果は、二百ノーチカル・マイル以上だと、こういうふうになっております。うそでも何でもありません。前の報告と現地に行って違ったということはありません。

赤城宗徳

1959-11-10 第33回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

それから当時グラマンをきめたいきさつというのは、所管委員会の本委員会左藤防衛庁長官から具体的につぶさに報告がございました。それは昨年の九月二十七日のことでございます。こういうふうないきさつを経て、こういうふうな理由によってグラマンを採用したのでございます。これは防衛庁が衆知を集めて意思の統一をはかって文書にしたものを、大臣がここで読み上げられたのです。これほど親切に当時やられております。

石橋政嗣

1959-11-07 第33回国会 参議院 決算委員会 第3号

左藤防衛庁長官、伊能防衛庁長官速記録をごらんなさい。四月十二日の内定は絶対正しいということでずっと処理してきているですよ。佐薙空幕長がここへ速記録を残したころは。飛行機脱出口が下にあるのを上に移すなどというのはその方針がきまった後なのです。それを含めて論じている。下に脱出口があるのを上に変えた。それを既定の事実として論じたのです。そのときでさえ佐薙さんはこういう速記録を残りしている。

矢嶋三義

1959-02-13 第31回国会 衆議院 決算委員会 第3号

○山本(猛)委員 本機は朝鮮動乱のときに、米国空軍朝鮮に送った性能の脆弱なものであって、今日はその用途が危ぶまれているものであって、しかも前左藤防衛庁長官が本委員お答えになりましたお答えでは、現在アメリカで製作をすると五千万ないし六千万で一機ができるものを、左藤防衛庁長官お答えによりますると一機一億三千六百万円。

山本猛夫

1959-02-06 第31回国会 衆議院 内閣委員会 第5号

昨年の十一月臨時国会での私の質問に対して、当時の左藤防衛庁長官は、見通しはつかない、なるたけ早く作りたいということでありましたが、もうすでにそれから三カ月たっている。いまだに滑走路は一寸もできていない。最近行ってみると補助滑走路をあわてふためいて無理にお作りのようですが、補助滑走路がいかにできましょうとも、主要滑走路というものができなければ飛行機は飛べない。

茜ケ久保重光